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人として「不十分」とのたたかい

 僕が東京都内・名古屋市・広島県で運営に関わっているグループホーム(介護保険法では認知症対応型共同生活介護と言い、認知症という状態にある方々が5人から9人で共同生活を営めるように応援する仕組みです)は、夜間帯を除いて施設を施錠して入居者を閉じ込めることはしていません。
 その理由は、施錠して閉じ込めるのは、憲法に規定した「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」に反すると考えているからです。

 とかく認知症があると何をしでかすかわからないため「安全の確保」を錦の御旗にして四六時中施錠した空間に閉じ込めてしまいがちですが、その道をとらないということです。
 そうは言っても僕のところでも夜間帯は施錠させてもらいますので矛盾していると言えば矛盾しているのですが、夜間帯は職員1人(これが今のところ限界です)となってしまうため「やむを得ず」そのようにさせていただいています。

 施設から外に出たがる人を施錠して閉じ込めるのは簡単な方法で、誰にでもできますが、あえて誰にでもできる道をとらないのは、僕ら介護保険事業従事者の社会的職務が「人が人の姿で生きることを応援することにある」と考えているからです。
 しかもグループホームへの入居自体、本人の意思に基づかない場合が多いという現実も忘れてはならないことです。

 その意味では、認知症という状態になった人はもう人(日本人:国民の一員)ではなく、憲法の及ばぬ人だと考えれば、閉じ込める事に何ら疑問もなく、抵抗感もないのでしょうが、僕は認知症があっても人であることに変わりはないと考えています。だから、いくつもの矛盾を抱えながらも「可能な限りを追求していく」ことが「誰にでもできない専門職の専門性」だと考え、自問自答を繰り返しながら実行しているのです。

 ある入居者がグループホームから一人で出られたのですが、職員がそれに気付けず15時間にわたって辛い思いをさせてしまうことがありました。
 そのことについて、行政職員、認知症という状態にある人の家族の会の人、民生委員の方、福祉関係の学者、介護保険事業者などで話し合う機会がありましたが、その会議で「施錠すべきだ」と唱えたのは介護保険事業者だけで、あとの方々は「施錠はできる限りしない方がよい」との意見でした。

 僕が関係するグループホームでは、入居される前の段階で「夜間帯以外は施錠して閉じ込めない」「買物など毎日のように町に出かける生活を送る」「転ぶことがあるからと行動を抑制しない」といった、非常に危険度の高い支援の在り方について説明します。
 その上で、最期まで人の生きる姿で生きられるように家族も共に応援していただく覚悟がもてるかどうかを決断していただきますが、それに共感していただけず入居を取りやめる家族はいませんでした。
 僕がかかわってきた市民は、むしろ閉じ込める事・動けなくさせる事への抵抗感が強く、市民の方が介護の専門職よりも「ひと意識が高い」のではないかと思うほどです。いや、年々高くなってきていると実感しています。

 毎日30回・入居して通算9000回以上外に出ている入居者もいますが、家族に「危険だと思うのなら他の施設に移ることもかまわないですよ」とお話したら、「あの人にとって一番幸せな事です。最期までお願いします。」と言っていただけました。
 最近は、職員が付くと嫌がって走り出すことがあるため、家族と相談して、本人のために職員が傍に付かず「ひとり歩き」をしていただくこともあります。もちろん戻ってこられなくなることも予測できていますが、僕らも家族も覚悟を決めてのことです。

 僕ら専門職は、市民や当人の家族に「人の生活に危険はつきもので、危険を回避すればするほど人が生きる姿から遠ざかる=つまり動きのない人になる」ことを語り、認知症になっても「諦めることなく人として生きていい社会を築くこと」に力を尽くすべきで、国民の多数は「万全を求めるのは無理」だと理解するでしょうし、自分の身内が生き生きと暮らす姿を見れば「ここで良かった」と言ってくれるのではないでしょうか。

 ただし行動を制限・抑制しない道は、決して安楽な道でないことを実感しており、手立てもなく安易に制限・抑制しない道を歩むことの危険性も承知しているつもりです。
 「さすが専門職」と思っていただけるような「理を実にした支援策」で、最期まで「人の生きる姿のまま」の人生が送れるように応援していきたいものです。
 本人の意に反して入居させるのは「拉致」、本人の意に反して施錠して閉じ込めるのは「監禁」ってことですからね。

 本人にとっても僕ら支援者にとっても家族にとっても「十分はあり得ない」なかで折り合いをつけた「たたかい」の連続なのです。

【執筆者プロフィール】

和田 行男/わだ ゆきお

認知症ケアの第一人者。高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。特別養護老人ホームなどを経験したのち97年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。
現在は(株)大起エンゼルヘルプでグループホーム・デイ・認知症デイ・ショートステイ・特定施設・小規模多機能型居宅介護を統括。『大逆転の痴呆ケア』『認知症開花支援』他、著書多数。

関連著書紹介
認知症になる僕たちへ

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