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ご近所に協力をお願いする

 核家族が一般的となり、子どもが独立した後、夫婦二人暮らしとなるケースが多くみられます。いつかは、夫婦のうちどちらかが先に亡くなり、一方の親がひとり暮らしに...。その現実を受け入れられず、元気をなくす親もいます。
 そんなとき、身内だけで何とかしようとせず、親の身近にいる地域の人にも協力を求めてみませんか。

 神奈川県で暮らすHさん(49歳・男性)の実家は九州地方です。Hさんには姉もいますが、姉は関西地方で家族と暮らしており、実家では両親が二人暮らし。2人とも70代半ばになっても畑仕事をして元気に暮らしていました。
 ところが、昨年の夏、父親が脳梗塞で倒れ、入院後わずか1ヵ月程で亡くなりました。当初は気丈にみえた母親ですが、父親の四十九日が過ぎた頃から、元気がなくなりました。Hさんが電話をしても、母親の声は弱々しく、すぐに電話を切ってしまいます。
 Hさんは心配になり、母親に一時的にHさんの家に来るように提案しました。ところが母親は「お父さんのことを放って、家を留守にするわけにはいかないから」と首を縦には振りません。

 そこで、Hさんと姉が交代で3週間おきに九州の実家に通うようになりました。1泊し、父親の思い出話をします。
 「母はほんとに嬉しそうに父の話をするのです。思い出して泣くことも...。最初は泣かれて焦りましたが、感情を出すことができて良かったのか、次第に母は元気を取り戻していきました」
 春に帰省したときには母親がHさんの好物のたけのこの煮物を作ってくれました。そして、「忙しいのに、そんなに来てくれなくて大丈夫」と言ったそうです。

 Hさんは姉と相談し、自分たちが顔を出す頻度が減ることで母親がさみしくならないよう、母親が地域の人と関われるように周囲に挨拶に行きました。
 お隣さんと民生委員さんには、「母親に、何か変わった様子があったら、電話をいただけませんか」とお願いし電話番号を交換。
 畑仕事を手伝ってくれていた町内のSさんには「母はだいぶ元気になったので、畑仕事に誘い出してください」とお願いしました。
 Sさんは母親に声掛けしてくれるようになったようです。少しずつ、母親は畑に出る時間が長くなりました。

 「父が亡くなった当初は東京に呼び寄せるしかないと思いましたが、母の生きる場所はあそこなんですね。遠くの親戚より近くの他人とは、言い当てた言葉です」
 Hさんは、次に帰省する際には、母親が昔仲良くしていた友人にも渡せるように、土産を多めに買っていく予定です。
 「『息子からの土産』と持っていけば、また交流が復活するかもしれませんからね」。

 母親の身近なネットワークを少しずつ構築するHさん。母親にとって、とても大きな精神的支えになっているに違いありません。

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 ぜひご活用ください。

【執筆者プロフィール】

太田 差惠子/おおた さえこ

介護・暮らしジャーナリスト、NPO法人パオッコ理事長。
1994年頃より高齢化社会を見すえながらの取材、執筆を開始。
96年、親世代と離れて暮らす子世代の情報交換の場として「離れて暮らす親のケアを考える会パオッコ」を立ち上げる。
2010年立教大学大学院にて、介護・社会保障・ワークライフバランスなどを体系立てて学ぶ。著書多数。

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