3.ドールセラピー導入にあたっての留意点
ドールセラピーを導入するにあたって、最も大切な点は、「どのように自然な出会いを演出するか」です。どんなに本物の赤ちゃんに似ていようが、人形であることに変わりはなく、高齢の認知症の方でもそれはすぐにわかります。認知症の方々は想像力を働かせて、人形のお世話をしようと思っているのです。これは人間しかできない行為です。ですから、「人形を与えられた」とか「子ども扱いされている」と、その方々に思わせない周囲の気配りが必要となってきます。
つぎにご紹介するのは、芹澤さんが立ち会ったドールセラピーの事例です。導入にあったって留意すべき点が明快にわかります。
ケース1
人生の背景を知る
特別養護老人ホームで初めてドールセラピーを導入することになりました。セラピー対象者のAさん(女性)は、今日はささいなことで怒ったり泣いたりして、とても不安定な状態であるということでした。
どのような言葉とともに赤ちゃん人形を渡すべきか、考えあぐねていたのですが、スタッフの方が赤ちゃんを抱くように、とても自然にAさんに渡しました。
人形のほっぺた、手、おなかに順番に触れていきながら、Aさんの口元にはかすかですがほほえみが浮かんでいます。あとで知ったのですが、スタッフの方によれば、Aさんのこんな表情は入所以来初めてだったとか。
それからはすっかり、お母さん気分になったAさんですが、ときおり、人形に話しかけながら涙を流されることがあります。Aさんがずっと心の奥に潜めていた思いが、涙とともに出ているのです。スタッフはその涙のわけを知らなければ、Aさんと気持ちを通い合わせられないことに気づいた、と言います。
セラピーを受ける方の生きてこられた背景をたどることで、介護スタッフやご家族は、その方により深く共感できるようになります。
ケース2
セラピーの意義を共有する
あるグループホームでドールセラピーを導入するための「ケア研究会」を発足させました。話し合いを重ね導入を検討するなかでわかったのは、まずご家族の理解が不可欠である、ということです。認知症の方々は「子どもに返った」から人形を抱いているのではないことを、まずご家族に理解してもらうのです。というのも、子ども扱いすることが、認知症の方々の「誇り」を傷つけることになりかねないからです。
また、対象者の家族だけではなく、来所される皆さんが温かく見守ってくださる雰囲気も必要だということに思いいたりました。
つまり、ドールセラピーを実践している方が本当の赤ちゃんをいつくしむような気持ちでいたとしても、周囲が「なぜ人形をそんなにかわいがるの?」と奇異な目で見てしまったら、その方は深く傷ついてしまう心配があるからです。そこで、グループホームのスタッフはドールセラピーの資料も添えて、つぎのような手紙をご家族全員に出しました。
『導入にあたっては、他のご入居者やご家族、スタッフ皆の認識とは異なっていても否定せず、そこに表される感情や行動の本質を理解し共有することが大変重要なのです。このようなセラピーが万能ではないことを認識したうえで、適合する方へは積極的に考えてまいりますので、ご協力をお願いいたします(一部抜粋)。』
人形に対する愛情は、本当の赤ちゃんに対するものではないと否定せず、そこに表される感情や行動の本質を理解しましょう。
そのためにはセラピー対象者の家族のみならず、周辺のみんなの協力が不可欠です。
ダイバージョナルという考え方
芹澤さんがドールセラピーを知るきっかけをつくってくれたのは、ダイバージョナルセラピストです。
「ダイバージョナルセラピー」とは、今から30年ほど前、オーストラリアの赤十字のメンタルケアスタッフのあいだで生まれた、レジャーを中心としたケアの考え方で、一人ひとりの生活歴や個性に応じて、レクリエーションや精神的なケアを組み合わせながら、お年寄りが本来もっている力をひきだすお手伝いをします。