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こうして両立!体験談ケアハラされても
夫婦で乗り越えた同居介護

池田 浩さん(仮名)
土木系調査会社・管理職、50歳代

池田 浩さん
働き方
フルタイム
オフの過ごし方
登山、スポーツ観戦
親族の居場所
同居
介護度
父・要介護3
1コマ
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漫画:カワグチニラコ

認知症と診断された同居の父

1.同居している父親の変化

 私は、東北地方のとある町の旧家の出で、先祖代々の家に夫婦ふたり(当時私50歳 妻49歳)と当時75歳の私の父親で住んでいました。
 役所勤めだった父親には特に趣味もなく、テレビを見たり、ひとりで碁を打ったり、テレビ体操したり、近場に散歩に行く程度の日課しかありませんでした。もともとあまり社交的ではなかったし、運動もしない人間だったので、そのままだと惚けてしまうからと老人会に入ることを勧めたりしたのですが、本人は年寄り扱いされたくない、と頑なに拒否していました。そんなものかと思っていたのですが、父はだんだん怠惰になり、最低限の運動だったテレビ体操さえ、面倒臭いとやめてしまいました。
 ある日、朝ごはんの時間に起きてこないことがありました。具合でも悪いのかと妻が起こしに行くと、寝ているのにうるさいと怒る。しばらく話をしていた妻が、「お義父さんが何かおかしい」と言いながら戻ってきました。朝なのに、夜だと勘違いしているらしいというのです。夜なのになんで起こすんだ、と怒っていたわけです。
 私は仕事なので、最後まで見ずに出かけてしまったのですが、妻はその後も話を聞きにいったようです。よくよく話をして、窓の外を見せてようやく朝だと納得し、食事をしたと聞きました。
 まあ、歳を取っているし、ただの勘違いだろうと思っていました。ところがその後も、ものを無くしたり、被害妄想的な発言をしたり、小さいトラブルがどんどん増えていったのです。私たち夫婦も、もしかして認知症なのかと不安になっていきました。けれども、私も忙しいし、どこに相談したらいいかわかりませんでした。調べて、受診して、認知症と決まってしまうのが怖いような気もしていました。

2.認知症を認めない父をなんとか病院に

 そんなとき、いつも行くスーパーに3人で買い物にいったのですが、トイレに行くと言って私たちから離れた父が、見つからなくなってしまいました。この売り場にいるよ、と私はショッピングカートの横で待っていたのですが、待てど暮らせど戻らない。妻と慌てて探したら、店の外でうろうろしている父を発見しました。トイレには行ったけれど、どういう約束になっていたか、私と話したことをすっかり忘れて、外まで探しに行ってしまったのです。
 これまでのトラブルと、迷子の件があって、さすがに病院で受診させようと思いました。まずは役所に問い合わせ、地域包括支援センターという部署があると知り、妻にいろいろ聞いてきてもらいました。要介護の申請の方法や、脳神経外科や物忘れ外来というところで検査ができることなど、初めて知ることばかりです。
 さっそく近い病院を調べて、行ってみることにしました。ただ、父は頑なだし、認知症の検査などと言ったら、絶対に行こうとしないだろうと思いました。だから、最近ちゃんと健康診断をしていないし、脳梗塞なんかが起きていたらたいへんだから、何度も何度も説得し、連れて行ったのです。父はMRIを撮ってもらいました。長谷川式スケールという問診ではある程度答えられていましたが、画像診断では、海馬という部分が萎縮しているらしいことがわかりました。そのほかの難しいことはよくわかりませんでしたが、結論は、私たちが恐れていたアルツハイマー型認知症ということでした。

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ケアハラ?自己責任? 介護に理解がない職場

1.今振り返ればあれは"ケアハラ"!?

 当時の私は土木系調査会社の管理職で、お役所相手の仕事なので安定はしていましたがお堅い社風で日程や納期などに厳しく、残業もかなりありました。共働きの妻は事務系のパートで定時退社できる状態でした。
 父の要介護申請をしたところ、歩行など運動機能には問題がなかったので、要介護1と決まりました。デイサービスは週1日で、あとはヘルパーさんに来てもらうことになりました。それでも1日1時間だし、妻の負担が減るわけではありません。私も週に何回か休んで父の世話をしようと思いました。
 家庭の事情を上司に伝え、ときどき休みを取らせてほしいと頼みました。介護休暇など、制度はちゃんとあったからです。もちろん、仕事のスケジュールは確認し、穴を開けないようにしました。ところがそううまくはいかなかったのです。上司は口では「家庭の事情なら仕方がない」と返事をしましたが、いざ休みを取ろうとすると、返事もしてくれないのです。奥さんがいるんだから任せておけばいいのに、というような陰口も聞こえてきました。なにか小さな問題が見つかると、それを介護のせいにされました。集中力が落ちているからではないかという攻撃も受けました。

2.仕事への責任感とのはざまで

 妻はパートでしたが、パートだから仕事は簡単というわけではありません。細かい仕事で疲れて帰ってきてはオヤジの面倒を見る。疲労が重なり、棘のある言葉が増えました。
 責任を押し付けて悪いなと思っても、父の介護や妻のフォローを理由に遅刻早退したり、有給休暇を取るなどという前例のないことをする勇気はありませんでした。実際、中間管理職だった私が、取引先との会合を私的な理由で欠席することはできなかったのです。私がいないということは、相手への失礼となり、その場限りの問題に留まらず先々の関係性にも悪影響が出ます。男性社会の仕事というのは、そうやって築き上げられてきたので、それを私ひとりで変えるのは難しいです。私自身が同僚にも部下にも厳しくしてきましたから、それを今さら撤回するのも気が引けました。

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それでもなんとか乗り切れたのは・・・

1.近所の人の協力

 父は、自分の調子が悪いことを周囲に知られたくないと思っていたようです。でも夫婦だけでは介護しきれない。例えば徘徊したとき父を助けるためには、周囲の誰かに気付いてもらわねばなりません。付き合いのあるご近所の方に、父の状態を告白し、協力を仰ぐことにしました。驚いたことに、長年住んできた地域の人たちは、父に対して悪い印象を持っていませんでした。実直なお父さん、という印象があったらしく、何かあったらお知らせします、と約束してくださいました。実際、夜にフラフラ出かけてしまったとき、踏切の直前で見つけて、知らせてくださったこともありました。

2.休みを取って妻と過ごす意外な効用

 このままでは夫婦関係が危ういと思い、スケジュールを考え抜いて、気心知れた同僚にも根回しをし、介護休暇を取り、父の主治医やケアマネジャーとの打ち合わせ等、態勢づくりを固めることにしました。さすがにまとめて取ることはできず、幾日かに分散しました。上司は無表情でしたが、制度としてあるわけだから、と割り切りました。それで干されるなら、それだけの会社なんだと思ったらすっきりしました。
 妻は私が休みを取るまで、かなりストレスを溜めていましたが、しっかりと介護の態勢を固めたせいか、料理や掃除など家事全般も私とある程度分担できるようになったので、随分楽になったと言ってくれました。また、介護体験を共有したことで、やっと夫婦の会話も復活しました。
 ふたりとも料理が好きで、料理本やインターネットの情報を見て、エスニック料理などに挑戦するのも楽しかったです。そういう料理をどうアレンジすれば父も食べられるかと考えたりしましたが、そうすることで食事の世話が楽しみに変わりました。

3.お別れ

 認知症はその後も悪化し、家でのケアが難しくなりました。入居費が手頃な有料老人ホームを探していたとき、父が転倒し、大腿骨を骨折。手術で人工骨頭になり、長時間立ったり歩いたりすることはできなくなりました。区分変更を申請していたところ、要介護4になりました。幸運なことに、その直後に特別養護老人ホーム(特養)から空きが出たと連絡が来ました。
 父は特養に入り、最後は寝たきりになって亡くなりました。82歳でした。昔気質の男性がアルツハイマーと診断され、介護される立場になるというのは、辛かっただろうと思います。それでも、なんとか事故もなく、最後を穏やかに迎えられたのは、介護に関わる皆さんのおかげでした。
 今後はどの職場でも介護に対する理解が深まって、気持ちよく休みが取れるようになることを願っています。

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介護に理解ある大手企業勤務

新田社労士監修・
両立マニュアル

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