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こうして両立!体験談超長期(15年!)の呼び寄せ同居介護も、
介護プロとの連係プレーで両立進行中

石田 達也さん(仮名)
生命保険会社(人事部)、60歳代

石田 達也さん
働き方
フルタイム
(週2回時差通勤・週3回テレワーク)
オフの過ごし方
ウォーキング、ジョギング、フットサル
親族の居場所
同居(妻と犬とは同じ敷地内の別棟のマンションに居住)
介護度
母・要介護4
1コマ
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漫画:カワグチニラコ

全国転勤ありの40代半ばのサラリーマンに、迫り来た介護

1.一挙に降りかかった家族の課題

 私は全国転勤ありのサラリーマンで、母の介護は40代半ばに始まりました。当時は、愛知県岡崎市に単身赴任、妻と子どもは東京のマンション、両親は新潟市でふたり暮らしという状況でした。母の介護が始まったころは、仕事も営業拠点の責任者でとても多忙なうえ、二重生活、教育、住居費で特にお金がかかる時期、そして自分の健康問題がほぼ一挙に降りかかったのです。

 母は20年ほど前に「脊髄小脳変性症」という難病にかかり、「完治は難しく、進行を遅らせる薬を投与していく」と診断されました。この病気はパーキンソン病に似ていて、歩行がフラフラしたり、手のしびれのため字を書くことや物をつかむことが困難になったり、食物の喉のとおりが悪くなってしゃべり・滑舌も悪くなるという難病です。進行の早い人もいれば、母のようにゆっくりと少しずつ進行する場合もあるようです。
 やがて要介護2の認定を受け、父が新潟市の自宅でヘルパーさんの助けも借りながら介護していました。ただ、どうしても遠方の老親が心配だったし、私の赴任先と新潟の実家、東京の自宅との移動という負担がとても大きかったので、私の自宅と同じマンションの別棟の部屋を購入し、両親を呼び寄せることにしました。

2.同居介護の態勢づくり:「リフォーム」と「ケアプラン」

 両親が東京に転居後、ほどなく私も東京転勤の辞令が出て久々に自宅通勤となりました。マンション購入代金や住み替え費用は新潟の家を処分したお金などを充てました。まず、リフォーム代の上限20万円までの9割が助成される公的介護保険制度を利用して、母が移動するすべての場所、つまり玄関、廊下、トイレ内、リビング、台所、ふろ場、洗濯機等を手すりだらけにしました
 母の介護は、役所の手続きも含めほとんどすべて父ひとりでやっていましたが、移り住んで2年ほど経ち、元気だった父があっけなく亡くなり、そこから私の介護人生が始まりました。母はそのときにはもう、押し車を使った自力歩行ができなくなり、車いすで要介護4の状態でした。母がひとりで生活することは不可能なので、私は妻、娘と離れ、別の棟の母の部屋に住むようになりました。

 まず、ケアマネジャーと綿密に打ち合わせをして、私の仕事に支障がでないようにケアプランを作ってもらいました。ケアマネジャーにも「息子さんまで倒れたら、それこそ共倒れになりますので、できるだけデイサービスやヘルパーさんを活用して決して無理をしないでください」と言ってもらいました。
 具体的なケアプランをご紹介します。火曜、木曜、土曜は朝から夕方までデイサービスに行きます。朝の着替え、トイレ、マイクロバスへの送り出しはヘルパーさんに頼みました。帰宅時の迎え、トイレ、着替えもヘルパーさんです。
 月曜、水曜、金曜は、朝、昼、夕方と3回ヘルパーさんが入り、昼食、夕食の対応をしてもらいます。毎日の朝食と火曜日の夕食、土曜日の夕食、日曜の3食は私の仕事で、妻にも木曜の夕食と掃除もしてもらっていますし、時々は夕食のおかずを持ってきてくれます。妻自身、近県の父親の介護対応もあるのに感謝ですね。おかげさまで土曜の日中は完全リフレッシュできています。

 以上のプランで、要介護4のサービス額の1割自己負担の約3万円と、限度額オーバーの5万5千円くらいの合計月々9万弱の負担です。それに加え、医療費、介護食、おむつ代、生協支払い、水道光熱費、マンションの管理費等は、母の遺族年金から出し、足りない分は私の方の家計から出しています。

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15年間!の介護生活あれこれ

1.要介護度の再認定のエピソード

 母は現在要介護4ですが、2年に1度(期間は個々のケースに応じて自治体が決定)の要介護度の再認定調査のエピソードをご紹介します。ご存じの方も多いかと思いますが、役所の調査員が自宅に来て母の状況を確認して、主治医の意見書と調査員の報告書とあわせて要介護度が認定されます。
 上京後はじめての再認定調査のとき、母は調査員に言われるまま、つかまり立ちなど色々と頑張ってしまいました。私も知識があまりなかったので、調査員に普段の母親の様子について説明しませんでした。再認定の結果、要介護4から要介護2になってしまいました。

 この体験から、「認定調査では、本人は頑張って普段より自分でできるように見せてしまうこと」、「家族は調査員に普段の様子や必要な介護について説明する必要があること」を教訓として学びました。
 要介護4から要介護2になると、それまでと同じ介護サービスを受けた場合、自己負担額が大分増えてしまいます。そのため、要介護2の期間は、休日のデイサービスへの送迎を私自身がする等、以前より介護サービスの利用を減らし何とかしのぎました。

2.「介護うつ」について

 二つ目にお伝えしたいことは、「介護うつ」についてです。介護うつ状態と言っても、私の場合、精神状態の悪化、体調の悪化、更年期障害が同時に来たようです。うつ状態になりかけるきっかけは人それぞれかと思いますが、「介護うつ」にまつわる私のエピソードを告白します。

 母は寝るときは、リビングにつながっている部屋のベッドに車いすをすぐ脇に寄せて、手すりをつかみベッドに横たわります。そして、トイレのため40~50分に1回はベッドから起き、手すりにつかまり車いすに乗り移ります。このベッドから車いすに乗り移るタイミングに最大の転倒リスクがあります。夜中、車いすにうまく乗り移れず、ベッド脇の床に尻もちをついている母の「助けて、起こして」という声に起こされました。急いで母を車いすに乗せながら、「なんでしっかり手すりをつかんで乗り移らないんだよ」、「骨折したら寝たきりになるぞ」と怒鳴りつけます。足をうまく運べず、手もしびれたり、震えたりするので転ぶのです。そんなことがたびたび続き、また怒鳴りつける。

 ある夜中、ベッドの脇でゴソゴソ物音がするので、何だろうと起きて見てみると、母がまた車いすに乗り移れず、ベッド横の床でつかまり立ちしようと、もがいているところでした。数日前に、私にさんざん「気をつけろ、しっかり手すりを握れよ」と怒鳴りつけられているので、私を起こさず助けを求めずに、30分くらいもがいていたんだと思います。生まれてからさんざん世話になり、要介護4、身体障害3級となった90歳を過ぎた母を怒鳴りつけていた自分が情けなく、ひどい自己嫌悪に陥り、うつ状態というか精神状態の悪化をきたしました。

 私の症状は、寝始めて過呼吸で息苦しくなり、鼻スプレーをするのですが、まだ苦しければ冷たい空気を吸うために夜中にマンションの敷地内を歩き回ったりしていました。通勤途上でも時に急行電車の駅と駅の間に息苦しくなるため、いつでも降りられる各駅電車しか乗れなかったり、また会社の座席で息苦しくなりじっと座っていることに耐えられず、会社の階段を下がったり上がったり、それでもまだおさまらないときは、会社の周りを歩いたりしていた時期もありました。
 そのような時でも、休みで時間のある時には、ウォーキング、ジョギング、フットサルをしてストレス発散し、何とか自分の精神状態を守ることができているのかなと思います。

3.介護プロたちとの信頼関係を

 このように精神的にも辛く、とても長い介護生活をなんとかやっているのは、ケアマネジャーと親密な関係を築けたことが大きいです。母の病状の悪化などで、ヘルパーさんの自宅滞在時間の変更、デイサービスに行く日数の増減対応、私が旅行や墓参りで宿泊が必要な場合は、母にショートステイに行ってもらうのですが、本来は抽選予約となるところ、お願いした日程を必ず取っていただけるような関係性を築くことができました。些細なことでも担当ケアマネジャーと電話で気軽に相談できるのでとても助かっています。
 私の方も、ケアマネジャーから頼まれれば、皆さんあまり出席したがらない「デイサービス利用者家族懇談会」のような行事にも積極的に行くようにしています。デイサービスでの母への介護対応が良くなるのではという思惑から出席したのですが、参加者の家族とお話して色々な悩みや介護のヒントを共有でき、何より良い気分転換にもなっております。

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会社のサポートも大きかった。そして今まさにダイバーシティ推進を

1.上司、同僚の温かいサポートの絆

 最後に会社のサポートについてお話します。母の介護のことは、介護が始まった当時の上司だった岡崎支社の支社長にはじまり、人事部の現上司など、歴代上司に事情を説明し、通院や役所申請のときの介護休暇や年休の取得、そして急な早引きなど、大変な配慮をいただいております。また、同僚の方々にも、休みや早引きで迷惑をかけているにもかかわらず、ご理解いただいていることにとても感謝しています。
 職場の方々のご理解・ご協力で、この約15年、母の介護をしながら、何とか仕事を続けることができました。誠にありがたいことです。

2.現職務にも役立っている介護経験

 現在、人事部のダイバーシティ推進部署に所属しております。私の担当は障害者雇用促進法の理念に基づいた、障がい者の方の採用やフォロー業務です。障がい者の方の身体や精神状態の特性を理解し、適切に対応するよう細心の注意を払う日々ですが、長年の母の介護を通じて得た難病の知識や、そうした方々への接し方など、仕事をするうえで非常に役立っています。
 母は今年92歳になりますが、今でも大変散歩が好きで、母の車いすを押しながら、近所の神代植物公園をよく散策しております。母への感謝の気持ちを噛み締めながら。

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記事一覧

実家から呼び寄せて同居介護・
全国転勤ありの大手企業勤務

親が認知症の同居介護・
介護への理解がない中堅企業勤務

近距離介護・フリーランス・
親族で共同介護

遠距離介護・テレワークあり・
介護に理解ある大手企業勤務

新田社労士監修・
両立マニュアル

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